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H2Hマーケティング実践編 
「正義とは?・その12:
自然本性的な貴族制」

正義の第二原理の「各人の利益」と「平等に開かれている」ということについて、ロールズは大きく4つの構想に分けて論じています。

前々回は<自然本性的自由の体系>、前回は<リベラルな平等>についてのロールズの見解を紹介しました。

ロールズの結論としては<デモクラティックな平等>となるわけですが、ロールズはその説明に入る前に、軽くですが<自然本性的な貴族制>についても触れていますので、こちらも紹介しておきます。

正義の第二原理について、<自然本性的な貴族制>の立場は、「各人の利益」については「格差原理」、「平等に開かれている」は「才能に開かれたキャリア(職業選択)としての平等」という組み合わせになります。

<自然本性的な貴族制>とは、「社会的な偶発性を統制する試みは形式的な機会均等が要求する範囲にとどまるべきものであり、それ以上の方策はいっさい講じられない。けれども、より優れた生来の資質・賦存を備えている人びとの相対的利益は、社会の貧民層に属する人びとの利益を促進するものに制限される」というものです。

つまり「上流階級に与えられる財が減少すると、下流階級の取り分も減ってしまう」という場合にのみ正義にかなっていると見なされる、というものです。

ロールズは「こうしてノブレス・オブリージュ(高い身分に伴う責務)の理念が<自然本性的な貴族制>に繰り込まれる」としています。

貴族制の理念を定式化したものとして、ジョージ・サンタヤナを紹介しています。

「サンタヤナはこう述べている『貴族制が統治形態が正当化されるの以下の二条件が充たされている場合に限られる。(1)便益がすみずみまで行き渡っていること、(2)もしも上流階級に与えられる財が減少してしまうと、下層で暮らす人びととの稼得も減るとの裏づけがなされること』」

しかし残念ながら、すべての高い身分の人たちが、ノブレス・オブリージュの意識を持ち、真面目に実践するわけではないのは明らかです。

ロールズは、<自然本性的自由の体系>、<リベラルな平等>と同様に、<自然本性的な貴族制>も、「道徳の観点から眺めると、3者とも等しく独断・専横的で根拠がない」として、「私たちは、<デモクラティックな平等>構想にたどり着くまで納得できない」として、話しを先へ進めて行きます。

<デモクラティックな平等>は、「各人の利益」については「格差原理」をとり、「平等に開かれている」については「公正な機会均等としての平等」という組み合わせとなります。

ロールズは、このうち「格差原理」から論を進めて行きます。続きは次回に。

(by インディーロム 渡邉修也)

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